仕事なんて結局お金のためなんだから,テキトウに割り切ったほうがいいじゃん,と思っているひとへ。

仕事に悩むってなんだろなと。

お金のために働いていて,もう割り切っているなんて話はよく聞く話なのだけれど,そういうひとたちは仕事の悩みをもう抱えていないのかというと,たぶんそんなことはなくって,割り切っていると言いつつも,割り切れないことがたくさんあるんだろうなぁと想像している。

国家公務員時代,一生懸命に仕事をしても,そうでなくってテキトウにやっても,はたまた可能な限り仕事をひとに押しつけて,自分だけ定時で帰っても給料は同じなのだから,なるべく最小限の力で他のひとと同じ給料をもらって,他のひとと同じように出世していくのが最善だ。

他と競争なんてしたくないし,ノルマに追われて自分をすり減らしたくない。景気に左右されない給料も魅力だ。一流企業に比べたら薄給かもしれないけれど,そうでないところからみたらそれなりの給料だし,退職金だって年金だってしっかりもらえる。

だから僕は公務員になった。

なんてことを言うひとは結構いた。

でも僕はそのコトバをまるっと鵜呑みにはしてない。

そういうことを言っていても,自分の価値観に照らして譲れないことはあるし,ひとは誰しも一生懸命にやったことを誰かに評価してもらったり,感謝されたりすればうれしいものだから,常にそこそこに手を抜いて,省力化をはかるなんてことはできないと思うからだ。

まして,能力の高いひとが,自分にできることがまだほかにあることを知っていながら,自己効力感を大いに持っていながら,それをひた隠しに隠して,ソコソコに生きていくなんてたぶんそっちのがエネルギーを使うんじゃないかと思っている。

フリーライダーになろうと思ってるなれるひとなんて本当に一握り。できもしないフリーライディングをやっている気になっているのが,割り切ったつもりの公務員なんだと思っている。

一つに,能力の高いひとのところにはいずれにしても仕事は集まる。こういうひとが本気でフリーライダーになろうとすれば自尊心との戦いになるから,たぶん結局引き受けてしまうだろう。自分がやった方が早いし,良い物をつくりたいと自然に感じるだろうから。

二つに,仕事というたくさんの時間を,お金のためだけに注ぐには限界がある。その膨大な時間をただただ飽きずにひたすらお金に心血を注ぐよりも,ついやりがいとか,楽しさとか,ワクワクに目が奪われる瞬間は誰にもあると思う。それらを我慢してやり過ごせるほど,ひとは自制できないだろうということ。

三つに,そもそもフリーライダーは喜んで引き受ける役割じゃあないから。まして能力の高いひとが喜んでやるなんてちょっとナンセンスだなと思う。喜んでやるとするならきっと能力の高いひとではない。できるひとができないひとのふりをし続けるのはなかなかに難しいだろうと思っている。

だからどうせお金のためだけに働いていて,ほかのことを割り切るなんてことはできっこないのだから,自分の本音から目を背けるんじゃなくって現実的にどうしたらよいかを考えるほうがずっと建設的だと思うのだ。

事実,楽しい仕事とそうでない仕事はあるだろう。
楽しい仕事には自然と熱が入ったり,よりよくしようという向上心が湧くだろう。

フリーライドしたいと言いつつも,本心では結局そういうことができないひと。そういうひとこそ,自分との対話を試みて欲しい。

自己啓発?
そんなバカバカしいことやってる暇あったら本の一冊でも読むわ。
なんて言わずに,騙されたと思って自分と向き合ってごらんなさい。きっと新しい自分に気がつけます。

そのためのキャリアコンサルティングですよ。