自分の持つ価値観をいかに容易にひっくり返せるか。

「自分の持つ価値観をいかに容易にひっくり返せるか。」
というのが大人にとっては案外,今考えるべきことなのかもしれません。

物事をどのようにみるか,理解するか,捉えるかといった見方感じ方のクセ,いわゆる「パラダイム」は経験の衝撃度合いやそのパラダイムを持ち続けた年輪によりますから,一般に大人になればなるほど,歳を重ねれば重ねるほど強固になっていくものです。

常識と呼ばれるものはそうして全体の総意でできあがっていて,本質的に正しいかどうかとか,有用かどうかとか,当たり前かどうかとは必ずしも直結していないところになんとも言えない難しさを感じるのです。

自身の価値観を反対側からみて,必要であれば即座に書き換えることができる順応性は,適応力と考えてもいいかもしれません。

現代の生きる速度は,大昔のそれとは比べものにならないぐらいのスピードでしょうし,生きている時間もずっと長くなっているでしょうから,その中で時代や場所,場の在り方に沿って柔軟に自分を変えていける能力というのはとても重要です。

生きにくさを感じるとき,たいていは場に和めず,自分の居場所を見つけづらい自分を見つけることができるはずです。

柔軟に,臨機応変に立ち回れたらいいのになと思ったことはないですか?

一方で信念や矜恃といった自分のコアのようなもの。あるいは自分軸に近いもの,こういったものを簡単に変えてしまってはいけないと感じることもあるでしょう。

変わった方がいいこと,変わらない方がいいこと,これらを混在させたまま内包すること。この懐の広さ,白黒付けずにふわりとさせておくネガティブケイパビリティ,もしくはこれらを矛盾しているのではないかと考えるのではなく,そもそも両方の性質を持っているものだと一歩引いて考えてみること,そういった複数の選択肢に気が付いてみて,なおかつそのたくさんの選択肢を真摯に考えてみることが大事なのかなと,思うのです。

自分の持つ価値観をいかに容易にひっくり返せるか。
ためしに一度,自分が持っている考え方のクセをいくつか思い出して,それを冷静に検証してみてください。

今の時代に即しているのか。
それは本当に有用なのか。
今の私に,今の家族にとって大事なことか。

あるいは,自分が死を待つ直前にもそのパラダイムは大いに持っていたい大事な価値観に属するものなのかどうか。

そのひとつひとつは,とても大事なことでも,全部そろうといらぬ束縛を生むかもしれません。あるいは逆にどれも重要でないように見えるけれど,3つそろったら急に必要になるものかもしれません。

がんじがらめの価値観でなく,いついかなるときも形を変え,姿を変え,チカラを変えることができるカタチのないもの。それが柔軟性の正体かもしれません。