怒ったような声と優しい声。
怒っているつもりはないのに,怒った声は止めてと娘に言われた。
怒ってるみたいに聞こえるから止めて,と。
怒ってはいなかったと思うのだけれど,怒っているように聞こえるのならきっと娘にとっては怒っているも同然なのだろう。
しかもそう言われてしまうと,僕の中の僕は,「ホントに1mmも怒ってなかったのかい?」と問うてきて,それに対して僕は「確かに改めて振り返ると1mmか2mmぐらいは怒っていたかもしれない」と応える。
「何に怒っていたのだろうか。」と再び問われるから,しばし考えて,単純に「娘の行動が遅くって,そのせいで自分の予定が狂わされることにイライラしているのではなかろうか」と気が付く。
こうしてそれに気が付いてしまうと,自分の正当性は一気になくなる。
あぁこれは自分の都合なのだと。
それで彼女は嫌な気持ちになったこともまた事実だろうと。
それで気を取り直した僕は娘に「ごめんなさい」をして,今度は目一杯優しい声で告げる。
「幼稚園に間に合うように,あと10分でお着替えまで済ますよ。」
娘は笑顔で「うん」と。
ああたったこれだけの違いでスムーズになる。
素早く準備を済ませられるという意味だけでなくて,なんだろうか,心のつっかえがなくてスムーズ。自分も気が付いていないイライラがなくなってスムーズなのかも。
セルフコーチングは時にわかりやすく,時に奥深く,日常に寄り添う。