メンターを持つという選択肢
社内メンター制度というのはよく耳にするのだけれど、社外メンター制度をバリバリ取り入れている企業さんというのは実はあんまりない(当社調べ)。
僕がメンターを持ちなさいと言ったのは、どっちかというと社外メンターのことなのですが、これはなんでかというと、より客観的な視点を持つことができるのは社外メンターだからです。
社内の先輩とか上司は、あたりまえだけれど社の文化を良くも悪くもしっかりと理解できていて、だからこそあさっての方向からのアプローチはしづらいところがあります。
社に対して批判的か、従順かという違いはあっても、社に定着した文化の範囲での考え方になってしまうというのはまぁある意味仕方が無いことでもあります。
社外メンターは、その点で言えば、何者にも染まらない(契約が切られるのを恐れて雇い主である社に従順な振る舞いのひとは別ですが…)強い信念をもっている(であろう)ことから、客観的な視点でのメンタリングができるでしょうし、そのほうが効果は高いと思っています。
まぁしかし一方で、社外のメンターは広い視野に基づいて話を聴いてくれるし、話をしてくれるのだけれど、同時にこれは狭い視点を持つことができないことも意味します。
つまり社内事情に詳しい方が都合が良い相談ごとには強くないかもしれないです。
必要に応じて、先輩上司に相談することと、社外メンターさんに相談することと、上手に使い分ければいいのかなと思います。
メンターの役割
メンターの役割って本来、「面倒見の良い先輩」の役割そのものだと僕は思っています。直接の上司ではないけれど、仕事のやり方を教えてくれたり、時に上司からの盾になってくれたり、一人前になるまで見守ってくれる役割のひとです。
そういうひと昔はたくさんいたんだそうです。
僕らが仕事を始めた頃(もう25年ぐらい前です)には確かにいたような気もします。
しかし、生産に直結する仕事に全力投球だった頃は、人材育成には力を注ぐことなく、世代交代を意識してないこともあり、当時の一線級の人たちがいなくなるにつれて、段々とマネジメントを学んでこなかったひとたちがマネジメントをするような世代を迎え、マネジメントできないマネージャーたちが、さらに人材育成をおろそかにしたせいで、こういう「面倒見の良い先輩」が減ってきちゃったのだろうと思っています。
自分ができればいいや。みたいな。
教えてる余裕がないとか。自分も誰にも教わらずに若手時代を過ごしてきたから、教えるスキルがないとか、放置することを「自分で考えさせるマネジメント」だと勘違いしちゃってるパターンとか。
だから、人材は意識して育成していかなくてはならないことに気が付いた今、ようやく「メンター制度」みたいな制度をつくって、若手をフォローしていかなくちゃいけないという意識にシフトしてきたのではなかろうかと思っています。
本物のメンターになる。
ちなみに僕がこういうことを意識し出したのは、初めて部下を持った頃です。当時、かく言う僕も「人材育成」を手法とかスキルとか考えたことはなくて、ひとはみんな努力と根性と才能で仕事を覚えていくんだと思っていたので、優れたマネージャーは、優れた能力と優れた技量でもってそれを伝承していくものだと思っていました。
だから都合、僕は僕のやり方を若い子達にどんどん教え込めば、僕が右往左往して結果得たその技術を回り道することなくまっすぐ進むことができて、短時間で僕のようなすごい技量を身につけることができるのだ!だから僕は最強のマネージャーになるのだー!と思ってました。
まぁそんなことになるわけなくて、ほどなくしてチームは崩壊の一途をたどることになります。
こんなぬるい考えの上司にチームをまとめられるわけないんですね。
なんで僕が苦労して得た技術を、手っ取り早く、コツだけ短期間に詰め込もうと思っても、そうは問屋が卸さないのかというと、これめちゃくちゃ大事な話なんだけれど「中長期的に効果をあげるようなチカラ」って、失敗とか悩みとか、チャレンジとか、そういう紆余曲折を経て少しずつ身につける能力だからです。
僕がやろうとしていたのは、上っ面の表面だけ、技術的なこととか、見た目だけうまくいきそうなこととか、そういうことを「苦労して手に入れるプロセス」をすっとばして得させようとしたので、それはうまくいくはずないです。
サッカーとかで言うなら、かっこいいスーパーテクニックだけ覚えさせようとしたけど、それに必要な基礎体力がついてなかったということですかね。
スキルとかテクニックは短期に身につくけれど、それだけで長期的に効果をあげつづけることはできないのです。
これはもう人生の原理原則だから、誰も覆すことができない真理でもあります。
(余談ですが、僕の愛読する『7つの習慣』にこういう大事なことが長々と書かれているので、気になる人はぜひ読んでみてください。)
そしてもうひとつ大事なことがあります。
ひとは何事も自分が自分事として腹落ちしていないことを真剣に取り組むことはできないということです。
アドバイスって、そういう意味であんまり意味がありません。
みんなも胸に手を当てて考えてみてください。
他人のアドバイスってせっかく教えてもらっても、案外やんないでしょ。
なのにYouTubeとかでたまたま見つけた「○○攻略法」とか「1週間で○○できる」みたいなアレには飛びついちゃったりしませんか。
これは本質的にひとが他者からの支配をこわがってるからです。自我の方が強いんです。
目の前で力説するオッサン上司のアドバイスよりも、自分で考えたこととか、自分の信条に沿ったものとか、自分で探してきたものとか、我流の方が自分には合ってる、効果が高いに決まってると思ってるわけです。
ところがたとえば自分が尊敬するひと、信頼のおけるひとからのアドバイスや助言ってどう感じますか?「何を言うか」よりも「誰が言うか」の方がずっと大事なポイントな気がしませんか?
権威にすがるというのも同じような仕組みです。
そのほうが説得力あるというか。
でもセオリーってホントはまぁ大事です。
直接体験してきたひとの話には耳を傾ける価値は十分にあります。
でもまぁ従わないですよね(上述のとおり心酔してれば別ですが)。
で、当時の僕のやり方はやっぱり受け入れてもらえなくって、僕は散々失敗しまくって、チームを崩壊させたあげく、そしてあるとき決意するわけです。人材育成にチカラを注ぎたいと。それでチームも組織も僕自身もWin-Winを目指してやる!と思ったのです。
それにはもう少しいろいろあったのですが、今日の所はこれぐらいにして、また機会があれば。
メンターを持つという選択
そういうわけで新社会人のみなさんはできるだけはやくメンターを持って欲しい。会社でメンター制度があるひとは、できるだけたくさんメンターさんとの対話機会をもうけましょう。
メンター制度があっても、実質役に立っていないところは山ほどあります。
なかなか話にいきづらい。
忙しそうで、しょうもない相談できなさそう。
隣の先輩に聞く方が楽。
そもそもそんな仲良くなる機会なかった。
なんていう、名前だけのメンター制度ありました。
僕が勤めていたところもそうでした。
だから僕は新しいメンター制度をつくりたくって、ゼロベースでメンター制度を企画し、新人研修とセットで提案しました。自分の職務とはまったく違う分野の仕事を勝手に始めてしまったのです。
あ。この話長くなりそうなので、次回に続きます。