特にやりたい仕事なんてなくって,言われたことだけやりたいと思っているひとたちも結構な割合でいます。
面談時に,やってみたい仕事ない?なんて上司に聞かれて,仕事なんてできればやりたくないに決まってるなんて思ったこと一回はあるんじゃないでしょうか。
かくいう僕も,仕事しなくっても給料もらえるんならそれはそれでいい,仕事って好きとか好きじゃないとかいうものでもないよな,と思ったりもします。
ここでひとつ「やりたい仕事」にもう少し想いを馳せてみましょう。
たとえば反対に「やりたくない仕事」は実感できますか?
こっちは割と出てくるんじゃないでしょうか。好みでない仕事,苦手な仕事,なんとなく目を背けたくなる仕事。興味がまったくない仕事。
そういう仕事も同様に「must」を指示してもらって,黙々と取り組む方が好きだなーって感じますか?いろんな仕事と比較して,同じようなモチベーションで指示されたことと向かい合うことができますか?
多くの場合,これまたNOになるのではないでしょうか。
やりたい仕事ってたぶん,そういう感じで探していくと見つかると思います。やりたいことがないことがダメということではなくて,やりたいことを極端にイメージしなくってもOKということです。
やりたい仕事ってそれぐらいのもので大丈夫です。
それがそのうち膨らんできたり,区別がつくようになってきたりします。
今の自分の気持ちを正当化して,「やりたい仕事」を否定する必要はないのです。「やりたい仕事」なんてあるわけないじゃんって,それってないとダメなの?なんて極ふりしなくてもいいのです。
そんなたいそうなことじゃないです。
毎日使っている歯磨き粉,大枠でどれでもいいけど,強いて言えばこの歯磨き粉が好きなの,っていうぐらいのものです。
やりたい仕事というと,積極的でポジティブなイメージです。
でも,仕事そのものにネガティブか,あるいはフラットな向き合い方をするひともいます。それがダメということでは決してなくて,やりたい仕事が特にないままでも今の仕事に対してモチベーションを保てているのなら無理してやりたい仕事を探す必要もないかもしれません。
しかし,たいていの場合,無意識にやりたい仕事とそうでない仕事はちゃんと自分がわかっているものです。
そういう一つ一つを感じ取るように意識を傾けてみると,そのうち自分が何を求めていて,何を遠ざけたいと思っているのかに気が付くかもしれません。
気持ちにストレスがなく(あるいは,普段の生活で解消できるレベルのストレス),自分を保てるような仕事なら,たぶんそれはやりたい仕事に近いものじゃないかなと僕は思っています。
そうでなければ自分が悲鳴をあげるものです。
悲鳴をあげてすぐに逃げられるか?というとまた別の問題ですが,少なくとも自分がそれを受け入れる範疇のものかそうでないかの区別はつきます。
だから「やりたい仕事」というものを,そんなに崇高で高尚なものと思わず,無理して自分を奮い立たせてまで「やりたい」を見つける必要はありません。「やりたい仕事」あったほうがいいんでしょ?みたいなことを感じて,モヤモヤしなくったっていいのです。
今自分の仕事に誇りをもって向かい合っているなら,きっとそれがやりたい仕事のうちのひとつです。
それを「must」を指示された方がモチベーションをもって取り組めると感じるのだとすれば,その仕事自体があなたに向いているか,あるいは「やりたい仕事」に近い場所にあるものなのだと僕は思います。
それぐらいの理解で良いのではないでしょうか。
今の仕事は好きですか?嫌いですか?
嫌いではない?
好きというほどでもない?
でもやりたくないってこともない?
要するに,
大好きです!と大きな声で言えるものだけが「好きな仕事」ではないんじゃないかなーと思うわけです。
それで,もしも今の仕事が「大嫌いです!」と大きな声で言えるような仕事なら,少し今の仕事を振り返ってみてください。
やりたい仕事を探すのって,案外,自分のことを大切にしてあげることかもしれませんね。