やりたい仕事ってなんだろう。の続き。書きっぱなし

やりたい仕事ってなんだろう。

物事の多くはバランスが大事なものですから,よく見かける極ふりした結論や議論を真に受ける必要はほとんどないのではないかと思います。

遅刻はするけど,ものすごく成果が上げられるひとと,成果はほとんど出せないけれど毎日時間通りに出社するひと。

好きを仕事にしていなくちゃだめ!と,好きなことを仕事にしてはだめ!

がんばらなくていいんだよとか,いつでもどんなときでも笑顔が大事とか。

ネットにあがる記事で,読み手を意識する場合,どうしても読んでもらうために誇張してかいたり,シンプルな構造にして書いたりしなくちゃいけないので(ネットにあがる記事に限らず,モデル化するには,構造をシンプルにしないと何がいいたいのかわかんなくなっちゃうんですね),どうしたって極端な構図になりやすいですよね。

だから「やりたい仕事」という日本語を,ついつい「積極的にやりたい仕事」と読んでしまうのではないかと思うのです。

やりたい,つってもほら,趣味とか友だちと遊びに行くとか,そういう
娯楽みたいなことに対する「やりたい」というような,わかりやすい「やりたい」と比べて同じものではないじゃないですか。仕事の「やりたい」って。

僕は「やりたい仕事」というか「やりたいこと」をやりたくって,20年以上も務めた大学の仕事を辞めることにしましたが,それが大学職員としてやれなかったかというと,そうでもなくて,最初はやろうと思ってがんばってたんです。

でも,そういう枠の中で自分が思ったことを思ったとおりにやろうとすると,それを妨げるひとが出てきて(それは,いろんな考え方のひとがいる以上,ものすごくあたりまえのことなのです),それがだんだん窮屈になってきて,これ以上やりたいことをやろうとするには,組織から離れなくちゃできないなと思ったときに辞めることを決心しました。

もしかしたら自分にやれることからコツコツと時間をかけて少しずつがんばれば,いつか達成できたのかもしれないと考えることはありますが,どうしても既存の組織の中で達成するイメージがわかなかったのと,立ちはだかるハードルの多さに嫌気がさしたってのはあります。

そのコツコツの延長上に,目的を達成する自分はいなかった。少なくとも自分にはそのゴールは思い描けなかったのです。

それで僕は「やりたい」を達成するために,いろいろなものを投げ捨てて仕事を辞めました。

だから,そういう意味では僕の「やりたい」はたぶん「やりたい仕事なんてない,仕事なんてフツーやりたくない」と感じているみなさんの言っている「やりたい」に近い「やりたい」なのかもしれません。

けれども,そういう「やりたい」に到達するまでには,そりゃぁいろんな想いがありました。

最初っから「やりたい」があったわけじゃありません。
国立大学の教務職員という仕事を選んだのも,いろんな偶然が重なった単なる結果です。これを計画された偶発性Planned Happenstanceだと言えば,そう言えるかもしれません。

信念があったわけでもありません。
キャリアデザインに対して何の知識もなかったし,自己理解や職業理解はおろか,ほとんど就職活動もしてませんでした。

バブルが崩壊した直後,就職氷河期と言われた時代。
僕みたいなのんびり就職活動の学生は他にたぶんいなかったと思います。まわりの友だちがあちこち飛び回っている間,僕は友人と「新しいカタチの学習塾」を創ってみようかと起業を志していました。

そんなわけなので公務員志望のひとたちが専門学校に通っていても僕は我関せずで,国家公務員になるための勉強もほとんどしてません。知人がいっしょに受けようと言うので,なんとなく受けてみただけです。

公務員試験になぜか合格したあとも,公務員になるつもりがなかったので特段官庁訪問をすることもしませんでした。たまたまかかってきた電話に飛び乗っただけです。

4つぐらいの機関から面接においで,という電話をもらって,そのうちのひとつにじゃぁ行きます。みたいな。

それも「学習塾」を起こすなら,教育機関とりわけ地元でいちばん立派と言われた高等教育機関がどんなところかをみておくのは無駄じゃないな,というぐらいの軽い感覚でした。
それで面接行ったら,その場で合格って言われて。

僕の持っていた LUCK はたぶんそこで全部使い果たしてます。
就職難で困っているひとたちを横目に,大した努力もなく,僕は大手国立大学に就職します。

そして24年間一生懸命働きました。
一生懸命働きましたよ,ほんとうに。
自分のこと,家族のこと,そういう大事なことよりも仕事を優先させていたと思います。朝から晩まで働き続けて,ここには書けないようなものすごく辛いときもたくさんありました。

うつになって3ヶ月ほど休職したこともあります。
もう毎日が辛くて,それでも仕事をしなくては周りに迷惑がかかるという一心でがんばろうとしたのだけれど,次第に体がついてこなくなるんですね。行かなきゃイケないのに,玄関に座り込んだまま体が動かない。

最後の一仕事を終えたらもう辞めよう。
そう思って,燃え尽きる前のロウソクのごとく,気力を振り絞って仕事を終えると,その足で僕は当時の上司に辞めたいですと伝えました。

まぁとりあえず辞めるのは止めろ,と言われてしばらく休職することにしたのですが。

今思えばあのとき辞めときゃよかったな。結局あれから18年して辞めちゃったわけだし。(ダメです。そういう精神状態で大事なことは決めてはいけません。できる限り保留して体力の回復を待ちましょう。)

そして復帰した僕は,それまで以上に仕事に邁進していくのですけれど,まぁ僕の能力なんてしれてますから,その後もいろんなひととぶつかって,いろんな障害物にぶつかって,あるいは昇任したり,部下ができたり,良いことも悪いこともありつつ,でもそんなものすごいキャリアを築いていくわけでもなくて平凡に過ごしていました。

それで気が付いたとき僕は当時,たたき上げの中で一番若い係長になっていました。
当時は,それなりに仕事もできるようになっていましたし,何でも一人でこなせる自負はありました。

だから一方で,自分の歩んできた道を,部下たちに教えてやれば,彼らは時間短縮&高効率で「仕事の仕方」を学んで,あっという間に自分の立っているところぐらいまで来られるだろうという,なんとまぁ傲慢な発想をもってしまったのです。要するに自分のコピーをつくろうとしたんですね。

しかしそんなことがうまくいくはずはありません。
そんなヒトをバカにしたような考えをもっている上司がチームをまとめられるはずはないのです。

問題はあふれ,チームはバラバラになり,そこでようやく僕は自分自身と語り合うことを学びます。外にしか向かなかった視点が,内側に向くとき,パラダイムの大転換は起きます。

自分のかけている眼鏡。
世界は本当の色を僕にみせているのではなくて,僕がかけたサングラスを通して見えているだけであることに気が付きます。そしてそのサングラスはみんながかけているもので,なおかつサングラスの色や度は,みんなそれぞれ違うのです。気付くのおそいよ。

そして,だんだんと自分と向き合う時間が増えていきます。
自分と向き合う時間ってすごく大切です。
それまでそういうことを考えたことはあんまりなかったのですが,自分のことに気が付くって本当に大事です。

それで,気が付くと,駄目な自分もあり,素敵な自分もあり,周りのひとは周りの人でそれぞれがんばっている,がんばろうとしていることにも気がつき始めます。

もちろんだからと言って自分の眼鏡が透明になることはありませんから,カンタンにはみんなとわかり合えて大団円!的なことにはなりませんが,それでも,そういうことを目指したいなと思う自分に気が付くことは決して無駄ではありません。

仕事の見え方もまた変わります。
仕事への想いも変わってきます。仕事だと割り切っていた仕事でさえ違う見方ができることにも気が付いたりします。やりたい仕事なんかねぇよ,と思っていた中にも何か新しい発見があったりもするのです。

それで,あれ,楽しいな。
って思っている時間が増えていくのです。

その「楽しい」を膨らませていくと,「やりたいこと」にたどり着きます。

自分の仕事を振り返ってみると,時に「ワクワク」している自分に気が付きます。全然楽しくない仕事の中にも「ワクワク」や「ドキドキ」がみえる瞬間が必ずあります。それが「やりたいこと」に繋がるはずです。

やりたいことって,音楽関係,映像関係,歌って踊りたいとか,なんかそういうわかりやすいことではなくって,もっともっと身近なことです。

こだわれるところとか,こだわりたいところとか。

僕でいうなら,僕は自分が書いた文書を上司とかに「好みで修正される」ことは本当に嫌いです。嫌で嫌でたまりません。同じ意味だからといって勝手に好みでニュアンスがちょっと違う日本語に置き換えられたりするのが本当に気持ち悪いです。そういうところはたぶん自分が好きなこととか,やりたいことに繋がるものです。

もしも,みなさんの仕事の中に一瞬たりともそういう瞬間がないとするなら,もういっそ副業でも始めて,違うことを試してみてください。違う仕事探してもいいでしょう。

好きを仕事にするというより,仕事の中の好きを探す方が良いような気もします。

とにかく自分のアンテナを目一杯伸ばして,自分のことをよーく考えてみてください。一生懸命仕事をしてみましょう。一生懸命になれるもの,やらなくちゃならないという強制的なものではなく,自ら一生懸命になろうと思えるものの中にはきっと何か好きな瞬間があると思うのです。

それがたぶん「やりたいこと」の種です。
それをじっくりと味わってみましょう。じっくりとその楽しさを感じてみましょう。そのとき,自分の気持ちってどんな感じですか?

そんな話,聴かせてもらえたらうれしいです。